▲ ページの先頭へ

歴史・文化History / Culture

棒の手は、棒や木太刀を使う武術的な民俗芸能で、2人から5人の演技者が型に従って演技を行います。

五穀豊穣などを願う神事芸能として、また農民の自衛手段として受け継がれてきました。流派によって名称の違いはありますが、本来の棒や木太刀を使った神事的要素の強い「表」または「本手」といわれる型と、観衆を楽しませるためのキレモノ(真剣等)を使った「花棒」または「祭礼棒」といわれる型があります。

棒の手は、愛知県や岐阜県などにさまざまな流派が伝えられていますが、尾張旭市では「無二流」「検藤流」「直心我流」「東軍流」「直師夢想東軍流」の5流派が伝統を守っています。

尾張旭市の棒の手(愛知県指定文化財第23号)

  • 倹藤流

  • 直師夢想東軍流

  • 直心我流

  • 東軍流

  • 無二流

尾張旭市の打ちはやし(尾張旭市指定文化財第4号)

打ちはやしは、「道行ばやし」や「祭ばやし」ともいわれるお囃子(はやし)のことで、かつてはどこの地域でもお神楽(かぐら)とともに青年たちによって受け継がれていました。

地域の祭礼では、榊(さかき)などを奉じて演奏しながら神社まで行進し、お神楽を奉納します。また、盆踊りなどでも登場し、提灯山(ちょうちんやま)とともに盆踊りの雰囲気を盛り上げる重要な存在です。

使われる楽器は、大太鼓(桶胴)と締太鼓と横笛(神楽笛)で、基本的にはカナで書かれた文字譜と口伝で伝承されていました。同じ名前の曲目でも地域によって異なっている場合もあります。

尾張旭市では、井田地区、印場北島地区、庄中地区の打はやし保存会が伝統を守っています。

ざい踊り(尾張旭市指定文化財第5号)

ざい踊りは、市内で古くから行われてきた先祖供養のための盆踊りで、主に少女が踊る女踊りのひとつです。

一尺五寸(現在は40cm)ほどの竹筒の片端に、長さ四寸(現在は28cm)の紅白に染めた紙房をつけた「ざい」と称する手具を両手に持って踊ることからこの名前があります。

「傾城阿波の鳴門」の巡礼お鶴の物語の歌にあわせて、ゆっくりと、一つ…、二つ…、三つ…、と「ざい」を打合せ、数を取りながら進みます。

古くは庄内川水系や天白川水系などをはじめとして広く分布し、尾張旭市以外でも踊られていたようですが、現在でも踊られている地域は少なくなっているようです。

尾張旭市では、印場地区の鳳采会と、三郷地区のみさと会が伝統を守っています。

尾張旭市の馬の塔(尾張旭市指定文化財第10号)

馬の塔は、尾張及び西三河、東美濃に渡る地方で、江戸時代から行われていた献馬行事です。豊作のお礼や雨乞いなどのために、標具(だし)と呼ばれる道具で飾られた馬を一日だけ寺社に奉納します。

もともとは村内だけの「郷祭(ごうまつり)」に献馬が行われていたようですが、江戸時代中期になると複数の村が連合してより大きな神社やお寺に馬の塔を奉納する「合宿(がっしゅく)」が始まりました。合宿は大豊作の年だけに行われたため、10年に一度程度の特別な祭でした。

馬を飾る標具には、郷祭では簡素な高札(はんげ)と御幣(ごへい)が使われていますが、合宿では村の願いを込めた意匠を凝らした標具が使われます。また、馬の周りには長柄鎌などを持った警固人(けいごにん)と呼ばれる人を配置して、大切な標具を守っていました。さらに時代が進むと、棒の手や鉄砲(火縄銃)が隊列に加えられ「警固(けいご)」または「オマント」と呼ばれる勇壮な行事に発展しました。

尾張旭市では、印場(北・南)、新居、稲葉、三郷地区の保存会が、行事の伝統を守っています。